プロフィール

 

簡単なプロフィール

Mayu Abe(ほぺまゆ)

Twitter→@Jope_Mayu
Instagram→@yuma_bear

大分県中津市出身。現在バルセロナ在住。1991年8月23日生まれ。

地元の公立高校でサッカー部マネージャーを経験しました。

高校を卒業後、熊本大学へ進学。
スポーツ関係の分野を学びながら、女子サッカー部に所属しプレーヤーとしてもデビュー。

大学を卒業後、誰もが知る有名通信企業へ。福岡で内勤営業職をして社会人経験を積みました。

2016年に仕事を辞め、あてもなく単身スペイン•バルセロナへ

「日本サッカーを強くしたい」という思いから、高校時代のマネージャー経験を胸にホペイロを志す。

現在はバルセロナのサッカーチームでUtilera(スペイン語で用具係(ホペイロ))として活躍中。

所属チーム「U.D. UNIFICACION BELLVITGE」U-19及びU-14

 

夢は女性初のプロホペイロ。

→関連記事ホペイロって何?私がこの職業を目指したきっかけ

スペインサッカーや現地の情報等を発信します。

スペイン在住に至る経緯はこちらから

 

 

生い立ちをもっと詳しく!

誕生から小学校時代まで

今や「からあげの聖地」として有名な大分県中津市に生まれる。

田んぼだらけの田舎町で育ち、幼少期は友だちとドブで葉っぱレース藻釣りなどをして遊んできました。

 

サッカー好きの兄2人の影響もあり、物心ついたときからサッカーが当たり前の生活に。休日は兄のサッカーの試合観戦にしょっちゅう連れて行かされました。

 

並行して5歳から始めていた水泳で、小学校高学年のときに選手コースに入り、本格的に水泳に取り組むようになります。飛び込みでのスタートが怖い、ということもあって専門は背泳ぎに。

 

小学校の卒業式で退場の際に、いつも怖かった先生から「お疲れ様」という言葉をもらい、感動して号泣。この頃から異常なまでの涙もろさが片鱗を見せ始めました。

 

自分の特徴を自覚し始めた中学校時代

中学校に入学すると先輩後輩の上下関係の怖さに接するようになり、先輩に対する礼儀などを強く意識するようになりました。上下関係に気を遣いすぎるという性格は今でも直りません。

体育大会の時期、他クラス担任の先生から自分のクラスを褒められたことが嬉しくて、授業中にひとりで隠れて泣いていました。ついつい感極まりがち・チーム意識が強いという性格を自覚するようになりました。

体育大会や合唱コンクールなど、クラスで競うような行事には常に熱くなりみんなで団結して真剣に取り組めば必ず勝てる!という考えで率先して取り組んでいました。負けたときはめいっぱい泣く、負けず嫌いの性格も実感しました。

 

学校とは別に、所属クラブで活動していた水泳。周りの速い選手を見て、「自分だって速くなりたい!」「周りのみんなやコーチを驚かしてやりたい!」という気持ちで熱く練習に取り組みました。

その中でもあまり自分に期待してくれていない様子のコーチを見て、「絶対見返してやる!」という気持ちが大きな原動力になりました。

中学1年の3月から「毎日欠かさず家で筋トレをする」という目標を立て、中学3年の引退に至るまで1日足りとも忘れずに筋トレを続けました。これをきっかけにして自分の意志力の強さに自信が持てるように。

水泳にかけていたこの時期。最後の大会が迫っているときは、授業中も机の下で隠れて足首のストレッチをしていたこともありました。

この時期をきっかけに、熱く何かに取り組む・常に向上心が溢れているという性格が自分の基盤になっていることに気づきました。また自分がスポーツを強く好むということにも気づきました。

 

 

そしてこのタイミングで自分の夢に出逢いました。

中学2年生の頃、当時欠かさず見ていた「やべっちFC」にJリーグチームの広報担当をしている女性の方が出演。

「こんな仕事があるのか!」と強く心を打たれました。いつも見ていたJリーグの試合。裏方のお仕事の存在(まして女性)に直面し、憧れを抱くようになりました。

 

日韓W杯などの出来事をきっかけに、日本サッカーはなぜもっと強くなれないのか?と考えるようになっていた私。サッカー界に携わりたい!という思いが叶えられる職業を見つけて興奮しました。

この日の夜は興奮が冷めやらぬ状態で、ベッドの中でもなかなか眠れませんでした。

 

 

サッカーと勉強に熱を注いだ高校時代

地元の公立高校に進学。

高校を選んだきっかけは地元で最も高いレベルの進学校、そしてサッカー部も力があるという点でした。

入学してすぐに念願のサッカー部マネージャーへ。(中学時代にもマネージャーになりたいと顧問の先生にお願いしていましたが、中学校でマネージャーという役割が未だなかったため願いは叶いませんでした。)

 

先輩に教わりながら、初めてサッカーチームをマネジメントするという経験をしました。プレーヤーとして取り組む活動とは違って、周りの状況に気を配り、足りない点や不備などにいかに気づけるかが大事に。観察力や先を見据える力が必要になりました。

チーム一丸となり勝利をもぎとったときの喜びや、あとがない試合で負けてしまったときの悔しさを経験して、チームで戦うことの魅力や価値を実感しました。

 

高校3年の春にマネージャーを引退をして、大学受験に向けた勉強へ一直線に。

それまで部活に一生懸命でおざなりとなっていた勉強。高校3年の春のセンター試験の模試では全教科合計480点程度でした。

親への経済的負担を考えて国公立大学を志望していた私は、このままでは大学なんて一切選べない、と非常に焦りました。

 

目標だけは能力の限界なんて考えず自分の希望に設定しようと思い、スポーツ関係の学部がある偏差値の高い難関大学を選定。

担任の先生との二者面談でその旨を伝えると、「お前には無理だ」と一掃されてしまいました。このときの悔しさから、またしても「絶対に見返してやる!」という思いがメラメラと湧き、高校3年の時間を勉強にひたすら注ぎました。

 

効率の良い勉強法や生活習慣の改善など、少しでも効果があると思ったことには全て取り組みました。

結果、高校3年の春に480点だったセンター試験の点が、本番では677点を獲得。200点近く点をあげて、学校で最も伸び率が高いと言われるようになりました。

 

そして無事、熊本大学への入学が決まりました。

 

社会人への準備期間、楽しみ尽くした大学時代

親元を離れ、一人暮らし生活も開始。
今までの学生生活とは180度違う環境へと変貌しました。

 

大学ではスポーツ関係の学科に入学。

同級生同士だけでなく縦の繋がりも強い学科に入学したことで、大学生活の楽しみ方をたくさん学びました。
座学だけでなく、海で集団遠泳をする実習や北海道でスノーボードをする実習など、学科ならではの経験を積むことでスポーツとたくさん向き合うように。
また集団の先頭に立って何かに取り組むという経験を経て、チーム全体を客観的に見て「何をすべきか、何が足りないか」という視点を持つようになりました。

体育会系の学科ということもあって、上下関係における社会人のマナーなども気づけば身体に染み込んでいました。

 

部活はサッカー部女子へ入部。

実際にプレーヤー経験を積んでみようと、部で唯一の初心者という状態で門をくぐりました。
入部したものの部員数は8人程度。11人にも満たない状態でこなしていく県リーグ。経験者と比べて上手くプレーできない初心者のわたし。迷惑をかけまい、少しでも早く追いつきたいという思いから自主練習を何度も繰り返しました。

そして大学2年目から部の運営として幹部学年に。部の存続をかけた部員集め。

数々の困難が待ち受けていましたが、仲間とともに乗り越える喜びや達成感などによって頑張ることができました。青春をしているようなあの時間、今となってはかけがえのない想い出になっています。

 

大学3年〜4年
30社以上への就職活動を経て、大手通信企業への入社が決まりました。

この就職活動期間は、人生でいちばん自分と向き合った時間に。
「自分は一体どんな人間なのか」「どんな強みがあるのか」生まれたときからの全ての想い出を振り返り、考え抜きました。

それと同時に自分がいかに光るものを持っていたとしても、伝える力がなければ何の意味もないということに気づく。相手に伝えることが出来なければ、強みを生かすことも出来ません。自分をプレゼンする力の大切さに気づかされました。

 

 

環境を変え、大人への第一歩を踏み出した会社員時代

社会人一年目は東京での研修でスタート。

同期は600人以上大都会東京での新鮮な生活
今まで九州で暮らしてきた私にとっては違う世界を見ているようでした。

 

周りの同期は名だたる有名大学出身の人たちばかり。英語が堪能な人たちは研修を英語で受けるといったほど。すでに研修で周りと差をつけるような意識•レベルの高い人たちばかりでした。

そんな中で九州からやってきた田舎娘が1人。みんなの前で標準語で話していたつもりが、話し方だけで地方出身がバレてしまうということに驚きでした。(今となっては私の方言は貴重なアイデンティティの一つです。)

この研修期間中はいい刺激をもらえました。社会人になり、自分の知らなかったことに多く触れることで「もっと成長したい」「活躍できるようになりたい」と思うようになりました。何事にも熱くなりやすい性格が発揮されたといえるかもしれません。

 

研修後は福岡支社での勤務へ。周りの先輩方に恵まれ、仕事に慣れていくことが出来ました。

自分の担当をもち、仕事への責任感をより一層感じるように。それとともに今ある仕事の効率化や、どのようにすればパートナーの営業さんの力になれるのかを考えるようになりました。負けず嫌いの性格もあいまって、休日も営業成績とにらめっこしながらどうするべきか考えることも。

幸せなことに温かいお客さまにも恵まれ、今こうしてブログの応援もして頂けています。本当に感謝です。

 

今ある仕事には常に全力投球したい私
それと平行して学生時代抱いた夢とも向き合っていました。

サッカー界に携わるお仕事海外へ飛び出してみたい憧れ

この2つに両方ともチャレンジできること、それがスペイン渡航でした。

 

スペイン渡航の前、事前にスペイン北部にあるビルバオのサッカーチームで、1週間程度エキップメント(用具係)のお仕事をさせてもらいました。

そのとき思った以上に選手らに認めてもらえたこと

空いた時間にスペインのトップリーグで活躍するアスレチック・ビルバオさんを訪問し、夢であるホペイロの方々とお話させてもらえたこと

人との繋がりのおかげで、同じくトップリーグで活躍するSDエイバルさんのホペイロの方とお話してクラブ施設を見せていただいたこと

 

想像以上の経験をさせてもらいました。この経験によって何か自分の背中を押してもらっているように感じました。

そこからはもうあっという間でした。ひょんなことから憧れていたホペイロの方とお話させていただける場をもらえたり。気づけばスペイン行きの手続きを進めていました。

 

後ろ髪を引かれる思いで、お世話になった職場へ辞めることを伝え。
わたしは第二のスタートを切りました。

 

 

あてもない状態でスペインへ渡航、初の海外生活へ

2016年10月に単身スペイン・バルセロナへ

現地の日本人を一人知っている、という程度で渡航をしました。

スペイン語の会話力はゼロ。英語も話せません。
最初はホームステイで海外生活を開始しました。

到着とともにスタートした語学学校も最も低いレベルからスタート。
「わたしの名前は〜。」レベルの授業です。

とにかく会話が出来なければ、海外で修行を積む以前に意思の疎通が出来ません。
色々と行動をおこす前に一旦語学の習得に集中しました。

スペイン語が聞き取れない、言葉が出てこない等の苦しい期間を経て。
到着から半年ほど経った後、なんとか色んなチームにアクションをかけられるように。

逢う機会さえ作れない、その場で断られてしまうなど、そう簡単にはいかないことばかりでした。

 

そんなときひょんなことから出逢ったチーム。
U.D. UNIFICACION BELLVITGE

日本人女子が一人で訪問してくるという奇妙な状態にもかかわらず、親身になって話を聞いてくれました。

そこでわたしのホペイロとしてのキャリアがスタートすることに。
行動力と熱い気持ちが発揮された瞬間でした。

 

2017年4月
勉強させてもらうというかたちで、U-12のAチーム18歳以上のアマチュアBチームに帯同させてもらえることになりました。

4月ということでシーズン終盤。

シーズン終了までまずは慣れる、その後プラスアルファで出来ることを加味していくという状態でした。

 

シーズンが終わりを迎えた6月。
帯同チームだけでなく、チーム関係者の信頼も得ることができました。

 

シーズンオフ期間の6〜7月は、引き続きU-14チーム(元U-12)やアマチュアBチーム、U-12チームなどから来シーズンも帯同してほしいという打診を頂きました。

その中でもスペインのユーストップリーグに属するU-19チームからも声をかけて頂きました。

1人でいくつものチームを掛け持ちすることは難しいため、U-19及びU-14チームを担当することに。

 

2017年7月よりU-19及びU-14チームのホペイロ(Utilera)として活躍しています。

 

明るい未来へ続く